奈良追分コミュニティの紹介と目的
奈良追分コミュニティの拠点は、奈良市追分地区、正式地名は奈良市大和田町にあります。ここには江戸時代の追分本陣屋敷(奈良市指定文化財)が現存し、奈良時代の大坂と平城京を結ぶ峠越えの道「暗越奈良街道」が、いまは国道38号線として貫通し、本陣屋敷前で、奈良・大阪・大和郡山への分岐点となっています。街道に沿って4ヘクタール700本の梅林が開け、街道を隔てた隣地には、奈良盆地と大和青垣の山並みを眺望する3ヘクタールの広場があり、OIWAKE PARKとして、わが国固有種で準絶滅危惧種の大和橘や、希少となった夏みかんの栽培、循環型社会のモデルを表象する菜の花、その他四季の花々や野菜を栽培し、子どもたちのための体験農場、追分ファームもあります。またキャンプやBBQを楽しんでいただける広場として一般に開放しています。また、この地には、奈良時代の高僧 行基菩薩が建立した隆福寺院があったとされ、既に廃寺になっていますが、由緒ある古瓦が出土しています。奈良追分コミュニティは、この追分の地をフィールドとして、農業と福祉の連携を基礎に、梅林の整備や自然環境の保全、歴史を踏まえた観光地として再興、大和の特性ある植物の栽培等の活動を実践し、認知症者、障がい者、高齢者が健常者と共に、やりがい、生きがい、働く場の実現を図っています。奈良追分コミュニティは、奈良と追分地域の発展に寄与し、未来社会を見据えたサステイナブルな諸活動を展開することを目的としています。
奈良追分コミュニティへの歩み
~「奈良追分協議会」から「奈良追分コミュニティ」へ~
2016年(平成28年)
追分に拠点をおく「一般社団法人SPSラボ若年認知症サポートセンター きずなや」と「農事組合法人 追分梅園組合」が中心となって、農業と福祉が連携し、追分梅林の環境整備や薬用植物、果樹の栽培を通して、新しい観光の場や認知症の人、働きたくても働けない人達等のやりがい・生きがいが持てる場を作ることを目標に「奈良追分協議会」が設立された。初年度は、農業と福祉の互いの理解をするための教育・研修を中心に活動をした。また、今後の農福プロジェクトの企画・運営における計画書作りを行った。この年、「きずなや」は、その活動の功績が認められ、厚生労働省事業地域部門の大賞を受賞した。

2017年(平成29年)
農業を中心にした活動をスタート。数年前、追分梅林の数千本の梅が、突如枯死するという不慮の事故に見舞われた追分梅林の復興整備を、地元の人々やボランティアの人たちと共に、土地改良や若木の植樹などを精力的に進めた。一方、わが国の固有種で、記紀万葉にも記された伝説の木でありながら、絶滅危惧種となっていた大和橘の植樹や栽培、大和特産である大和当帰・ソバやハーブなどの畑栽培で、地域性を活かした農業活動を展開した。認知症の人も地域住民とともに農作業を行い、認知症者と共にそばづくり体験講座などのイベントも開催した。

2018年(平成30年)
イベントを中心とした企画を多く行う。梅林の復興整備も、多くの人々の支援と努力で目標がある程度達成し、観梅会や梅狩り体験など、梅林観光の小さな一歩をスタートさせることができた。また、耕作放棄地等の整備を行い、バーベキュー・キャンプなどが出来る広場を整え、隣接する近畿大学農学部学生たちの応援もあり、地域の人々へ農福連携と若い力での活動であることをアピールできるようになった。

2019年(令和元年)
新たな観光地としての追分を考えることや商品の企画・販売の活動をスタートさせる。大和橘も実をつけるようになり、商品化に向けた取り組みを行う(企業との連携交渉等)。また、追分の地は、奈良時代の僧、行基菩薩が養老2(718)年に建立した隆福院の跡地という歴史的な要地であり、追分本陣(村井邸)で考古学者や歴史学者などを招き講演会を開催し、発掘された古瓦も披露された。
2020年(令和2年)
新型コロナウィルス蔓延による非常事態宣言が発令された影響もあり、活動を縮小せざるを得ず、これまでの活動の維持を中心に行った。しかし、喜ばしいことに、追分の大和橘の実がついに商品化された。京都上七軒の由緒ある老舗菓子舗、有職菓子御調進所「老松」が、「非時香菓大和橘」の銘で季節限定商品として新販売し好評を得た。同店の代表的商品である「夏柑糖」の技術を、橘の小さい実に援用した優れもので、他の追随を許さない商品である。年明けの2月末には入念な準備のもと「観梅会」を催し、10日間で梅林復活後初めて千人近い観光客を迎えることが出来た。この期間中には、奈良県自然環境フォーラムの事業の一環として、「橘と菜の花で結ぶ 記紀万葉の道めぐり」のウォーキングイベントを主催し、30名の親子の参加があった。新型コロナウィルスの影響下での活動として、無事終了できたことに安堵した。
2021年(令和3年)
奈良追分協議会としてのプロジェクトは、この5年間で一応の目標を遂げたことと、この活動に賛同する新しい団体や個人の参入があることから、令和3年3月31日をもって編成替えを行い、「奈良追分コミュニティ」と名称を変えて、新しいスタートを切ることになった。これまでの活動を終わらせることなく新しい体制で継続し、官学民の連携を密にしでさらに発展、飛躍して、新しい時代に対処する活動を展開する所存である。